危機の心理学(’17)~2019年度第2学期に履修

放送大学 『危機の心理学('17)』 放送授業
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『危機の心理学(’17)』は、危機に直面した時の人の心の働きを認知・感情・行動という側面からとらえた科目です。

いざ危機に直面したときにどうすべきなのか、また、危機に対してどのような準備をすべきなのか、ということを考えさせられる科目でもありました。

日常的な危機と非日常な危機

『危機の心理学(’17)』では、「事故に遭う危機」や「犯罪に遭遇する危機」など、日常生活において出会うかもしれない危機や、もはや考えておかなければいけない「自然災害に遭遇する危機」の他に、日本に住んでいるとなかなか実感することのない「戦争という危機」も取り上げられています。

生活をしている上で非日常な危機でも、たまたま危機に遭遇していないだけで、いつどこで危機に遭遇するかもしれない、そのような事を考えさせられました。


自ら作り出している危機

危機は向こうからやってくるもの、遭遇するもの、という感覚を持っていましたが、ヒューマンエラーによる危機や環境破壊による危機など、自ら作り出している危機があることを気付かせてくれました。

自ら作り出してしまっている危機でも、ヒューマンエラーのように回避できる危機ばかりでなく、環境破壊のように利便性を追究した結果、ブーメランのように舞い戻ってより大きな危機に陥っていくもののあります。

最近では環境保護のための行動や施策が求められていますが、一度利便性を手に入れたものを手放すのはとても難しいです。

自ら作り出している危機から脱するには、手放さなければならないものがあることを考えさせられました。

社会的な危機と個人的な危機

事故や犯罪、自然災害など社会的に問題として取り上げられる危機に目を向けがちですが、社会的に取り上げられることが少ない危機も『危機の心理学(’17)』では取り上げられています。

「孤独」や「貧困」です。

事故や犯罪、自然災害などを社会的な危機とするなら、孤独や貧困は個人的な危機ではないでしょうか。
そう考えると、病気になることも高齢になることも危機だといえると思います。

『危機の心理学(’17)』を履修して、「危機」の価値観が変わりました。

危機感がもたらす危機

『危機の心理学(’17)』の「第7章うわさと風評被害」はとても興味深かったです。

他愛のない”おしゃべり”が”デマ”や”うわさ”となり、現実化してしまう。

危機感を持っていなければ聞き流してしまう事でも、心のどこかに危機感を持っているとそれが表面化され拡散していく。

ネット時代の現代は、SNSによってあっという間に拡散していく。
そこには、自分で確証を得る時間すら持つことが難しくなっています。

一歩引き下がって客観的に物事を判断する能力を付けることが必要なのだなと感じました。

認知と感情が作り出す危機感

何に対してどのくらい危機だと感じるかという危機意識が人によって違うのは実感として分かっていましたが、一般市民と専門家との間で異なっているのは興味深かったです。

人は、分からないものや見えないものに対して恐怖心を感じ、危機だと認識してしまうようです。

冷静に情報を収集して冷静に判断できれば良いのですが、感情が先に立ってしまい適切な判断を下すのは難しい事だと思いました。


過剰な不安と不安の欠如

『危機の心理学(’17)』の第15章危機の心理学の「過剰な不安と不安の欠如」は興味深かったです。
不安な感情は生命を守るために必要な感情だと思っています。

不安だから警戒する、不安だから立ち止まる。
しかし不安が過剰だと、前に進めなくなります。

では、不安が欠如するとどうなるでしょうか。

”自分だけは大丈夫”
”いままで大丈夫だったから、今後も大丈夫”

根拠のない自信につながってしまいます。

不安は過剰でも欠如でも危機につながることを考えさせられました。

心配の総量は有限

『危機の心理学(’17)』の中で興味深かったことは、心配の総量は有限だとする仮説があるということです。

Aということが心配なときはAのことばかりが気になりますが、新たにBという心配ごとが加わると、Aの心配ごとが解決していなくてもAについてに心配が小さくなるそうです。

”心配”というコップの大きさは同じなので、Aのことで一杯だったコップの中にBが入ると、コップの中のAという心配の割合が少なくなるということですね。

心配事が無限に大きくならないための心の防御なのでしょうか。

『危機の心理学(’17)』は、危機に合う時、危機から避けるとき、危機から脱する時、すべてにおいて心の動きがあってのことなのだ、という事を学んだ科目でした。

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